スター・ウォーズ名言考察<エピソード1>

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『スター・ウォーズ』シリーズ最新作、『エピソード7/フォースの覚醒』12月18日に公開される。

 

「名言の宝庫」としても有名なスター・ウォーズ。

自称・筋金入りのスター・ウォーズファンの僕が、“最新作公開直前”特別企画として「スター・ウォーズ名言考察」シリーズをお送りしたいと思う。

 

ストーリーの核心に触れないように

 

不朽の名作『スター・ウォーズ』について、今更改めて概要を説明する必要もないだろう。

とは言え、僕の世代(1992年生まれ)以降では、「スター・ウォーズなんて一度も観たことない」「なんとなく観た覚えはあるけど・・・」といった人も少なくない。

 

そういった人に向けて親切にも『スター・ウォーズ』の大まかなストーリーをまとめてくれているネット記事もたくさんあるが、僕は出来るだけ本作品を実際に観てストーリーを楽しむことをお勧めする

 

だから、ここではなるべくストーリーの核心になるべく触れないようにしながら「名言考察」を行いたいと思う。

 

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では、『エピソード1』の名言チョイスはこちら。

 

 

“Mom, you say the biggest problem in this universe is nobody helps each other.”

「ママ、言ってたよね。宇宙で一番大きな問題はみんなが助け合わないことだって」

アナキン・スカイウォーカー

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はっとさせられる一言だ。

 

旅の道中でトラブルに陥ったジェダイ一行。

その彼らを助けたいと願う少年アナキン・スカイウォーカーが純朴な心のままに放った言葉だ。

 

彼の提案は見返りを求めない、無欲なものであった。

まだ幼い少年であるにも関わらず彼は“Give & Give”の精神を持ち合わせている。

いや、幼い子供だからこそ、よりシンプルで物事の核心を突いた言葉を発することが出来るのかもしれない。

 

「助け合いが大切だ」なんて言葉は誰でも一度は聞いたことがあるだろうし、言ったことがあるだろう。

どうやらそれは、宇宙でも同じらしい

 

しかし、人はいつの間にか「それは自分にとってどんなメリットがあるのか?」「費用対効果は?」「これをすることになんの意味があるの?」「重要度の高さは?」などと、妙に合理的になってしまう。

成熟するとは、頭が良いとは、賢いとは、こういうことなのだろうか。

 

別に見返りを求めてはいけないとか言うつもりはない。

そりゃあ僕だって見返りを求めてしまう大人になりつつある。

現代日本が資本主義社会である以上、見返りを求めないきれいごとだけでは生計を立てていくことは難しいだろう。

 

だが、世界は“100対0”ではない。

中には合理的に説明することが難しいことだってある。

 

僕は日本縦断中に多くの人々から“無償のほどこし”を受けた。

遠方の知り合いや初めて会った人に食事をご馳走してもらったり、泊めさせてもらったり。

貧乏旅をしていた筈が、2~3日続けて焼き肉を食べさせてもらったこともあった。

 

今では相当図々しくなった僕も、当時はそういった人々の親切を受けるのに戸惑いがあった。

明らかに僕は“もらってばかり”だったからだ。

「こんなに合理的でないことがあっていいのか?」

 

多分、良いのだ。

一見合理的でないようなことがあっても、世界は回る。

与えたもの、与えられたものは、直ぐにではないかもしれないけれど、巡り巡って何かに還元されるのだと思う。

それは、お金という形であるかもしれないし、その他の物質的なものかもしれないし、行為的なものかもしれない。

あるいは、感謝という気持ちかもしれないし、はたまた、物凄く抽象的なものかもしれない。

 

日本縦断をする前はそれほど気にも留めていなかったこのアナキンの言葉だが、今ではストレートに心に響く。

 

ところが、このアナキンの純粋無垢な心が後に彼を悲劇に巻き込むことになる。

光と影は常に紙一重である。

何が正しくて、何が悪いかなんていくらでも変わり得るということも同時に考えさせられる。

 

 

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あと、作者の真意をより深く知る手がかりになるのは、セリフの原文を知ることだと思う。

日本語字幕も日本語吹き替えも、大抵意訳がされているためだ。

なので、より深く踏み込みたい場合は英語原文のセリフを読む(聞く)ことをお勧めする。

 

英語シナリオで楽しむスター・ウォーズ [エピソード1/ファントム・メナス][エピソード2/クローンの攻撃][エピソード3/シスの復讐]

 

英語シナリオで楽しむスター・ウォーズ [エピソード4/新たなる希望][エピソード5/帝国の逆襲][エピソード6/ジェダイの帰還]

 

「自虐」は最大の自己防衛

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「私はバカだ」

 

そう言ってしまえる人が最強である。

 

自分をへりくだる言い方、「自虐」「謙遜」とでも言い換えられるだろうか。

この手法、最強だな。

と、最近思うようになってきた。

 

「お前はバカだ」と人から言われる前に、

「私はバカです」と先手を打っておくのだ。

 

こうなると相手は何も言えない。

「自虐」最大の自己防衛である。

 

僕も無意識のうちによくこの手法を利用していたな、とふと気づいた。

 

 

無知の知

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そう考えると、「無知の知」というソクラテスの言葉はよくできている。

自らの無知を認めることが学問の始まりであるというものだ。

また、自分が無知であることを知っている分、そのことを知らない相手より優位であるという考え方ともとれる。

 

後者の解釈によれば、

「自分はバカだ」と認めている分、「自分はバカだ」と認めない人よりも優位に立っているのだとほくそ笑んでいるわけだ。

 

うむ、嫌らしい…

 

自己防衛の罠

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あなたは「自虐」「謙遜」をする人に対してどういう印象を持つだろうか。

おおむね腰が低くて良い印象を持つのではないだろうか。

 

ところが、それは既に相手の自己防衛の罠にはまってしまっている。

 

「私は才能が無いです」

「私はブスです」

「私は走るのが遅いです」

 

こうやって自分のハードルを下げることで、人は競争からの逃避を試みるのだ。

自ら戦いの土俵から下りてしまえば、相手はもはや何も出来ない

つまりは最大の自己防衛となる。

 

ただ、少し意地悪な批評家はこう指摘するだろう。

「自分をブスだと言うやつに限って、本心はブスだと思っていない」

 

ここまで裏を読まれては、万事休す。

まあ、世間なんてこういう探り合いにまみれたものなのだろう。

 

戦いの土俵は自分の中にある

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で、結局何が言いたいかというと、

自己防衛でも良いじゃないか、ということ。

 

自虐する人は、本当は相手より優位に立っているとほくそ笑んでいる。

 

そう先述したが、僕の考えではもう一つの思考パターンがそこにはあると思う。

つまり、自虐する人がその土俵で戦うことに興味がないパターンである。

 

人生には様々な戦いの土俵がある。

出世競争、学校のテスト成績競争、営業成績競争、マラソンのタイム競争。

見栄の張り合い、人生の充実度の見せつけ合い、などなど。

 

これら全ての土俵で戦い、無敗を誇るスーパーマンを目指すのは少し無謀ではないかと、1992年生まれ、「ゆとり世代」ど真ん中の僕は思うのである。

 

とは言え、僕も完全な競争否定主義者ではない。

自分のマラソンのタイムは気になるし順位も多少は気になる。

しかし、マラソンのタイムや順位が悪いからといって、人生の終わりだとは思わない。

 

僕のフルマラソンのベスト記録は2時間46分

それを言うと、よく「すごく速いね」と言われる。

確かに日本のフルマラソン完走者全人口に対して、3時間を切るランナーの割合は約3%(アールビーズ社調べ)なので、2時間46分という記録は相対的には速いと言えるかもしれない。

 

ところが、僕の周りには2時間40分や2時間30分を切る市民ランナーがたくさんいるし、実業団のレースや国際試合に目を向けたら、2時間46分なんて“記録”はどこまでも霞んでしまう。

 

だから僕は人から「速いね」と言われたら大抵、

「いやいや、自分なんか全然遅いですよ。僕よりタイムの速い人はたくさんいます」

“タイム至上主義の戦い”の土俵から下りる。

 

何を基準に、誰と比べるかによって評価なんていくらでも変わり得る。

つまり、こうした外部依存的な競争には終わりがないのである。

 

だから、いつでも戦いの土俵は自分の中にあると考えた方が良いだろう。

使い古された言葉ではあるが、「ライバルはいつも自分」なのである。

 

自分が選んだ土俵で戦えばよい。

必要であれば、自分でその土俵を作り出せばよい。

不毛な競争に消耗している時間と労力が勿体ない。

 

「自虐」とは最大の自己防衛であるとともに、不毛な外部依存の競争から身を引く手法である。

自分の外ではなく、自分の内により強固な価値基準を持つこと。

そして、不要な競争をうまい具合に避けていくこと。

それが自らの心身を消耗させない秘訣ではないだろうか。

 

以上、「ゆとり世代」の戯言。

 

 

『日本縦断ラン報告会&交流会』を開催

 

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11/15、福岡にて『日本縦断ラン報告会&交流会』を開催させて頂いた。

 

会場は、福岡市中央区にあるカフェ&ダイニング『HAPPY HILL』

産地にこだわった食材で、美味しい料理を提供してくれる落ち着いた雰囲気のお店。

 

当日は20人を超える参加者が集ってくれた。

まず、福岡を中心にお世話になった方々への「日本縦断ランの報告」、それからキャリア形成についても、僭越ながら話させてもらった。

 

今回のイベントは先輩や友人が主催してくれたのだが、こういう類のイベントは張本人が企画するのは多少気が引けるものなのでコーディネートしてくれた彼らに感謝したい。

 

自慢話はしたくなかった

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「日本縦断ラン報告会」はあくまで「報告会」である。

だから、自慢話はしたくなかった

 

「じゃあ、なぜこんなイベントを企画するんだ」

「黙っていれば、自慢になることもないじゃないか」

 

と言われるかもしれない。

 

もっとも、僕も最初はそう思っていた。

しかしふと、それは「聴衆への貢献意識」に欠けているのではないか?

と思い直した。

 

少なくとも僕は「ランニングで日本縦断」を成し遂げたという実績を残した。

それは世間的に見れば多少アブノーマルな挑戦であったし、多くの人が興味を持ってくれた。

結果論ではあるが、今回の報告会でも20人以上の人々が集まってくれた。

 

少なくとも今ここにいる20人程度の方々は僕の経験に何かしらの興味を持ってくれている。

 

そんなときに「自慢話として聞かれたくない」という恥じらいの気持ちは、ベクトルがあまりにも自分に向きすぎているのではないか。

 

正直、「日本縦断ラン」を通して普通の人が経験できないようなことを経験できたと思うし、そこから学んだことも多かったと思う。

その経験や思いを自分だけのものにするのではなく、他の人にもシェアするというのが僕なりの貢献の仕方かな、と。

 

僕は凄くない

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というわけで、この報告会で僕が何度も口にしたのが、

「僕は凄くない」

ということ。

 

僕は自分のやりたいことをやっただけで、それを楽しんでいただけである。

もちろん、全ての人が走って日本縦断をするべきだとは毛頭思っていない。

 

それぞれの人にそれぞれの冒険があると思っている。

その冒険へ一歩踏み出すためのきっかけに、僕の話がなってくれたらこの上なく嬉しい。

 

自戒をこめて

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まだまだ青二才の僕。

偉そうに話させてもらったが、その内容はある意味、自分に言い聞かせているようなものでもある。

 

これからも僕の冒険は続いていく。

みんなの冒険も続く。

 

そんなことを参加者同士で確認し合うような、双方向性のイベントに仕上がったと思う。

 

最後にもう一度、参加者の皆さん、主催・準備してくれた方々、本当にありがとうございました。

 

 


 

 

 

 

阿蘇生活、始まる

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阿蘇に来てから一週間が経とうとしている。

 

現在、僕は“ゲストハウス阿蘇び心”でヘルパーとして働かせてもらっている。

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ゲストハウス阿蘇び心 HP

“阿蘇び心”では、高いクオリティのおもてなしを学ぶことが出来る。

そこは世界中から様々な人間が集う和の空間である。

 

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そして何より阿蘇の大地を走るのが気持ち良い。

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毎日この風景の中を走れるなんて素晴らしい。

 

ランニングコースのすぐ傍に牛馬たちがムシャムシャ草を食べてこっちを見ている。

彼らの生活はシンプルだ。

ただ食って、歩いて、寝る

 

人間からしたらそれはちょっと退屈なので、あと一つ二つくらい張り合いのある何かをやっておけばそれくらいで十分かな。

 

阿蘇の風景は僕をそういう気持ちにさせる。

何も難しく考える必要はない。

 

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11月6日午前6時半、今朝の阿蘇市は深い霧に包まれた。

一寸先は闇、いや霧。

車で向かうのは、阿蘇を囲む外輪山

 

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日の出とともに、美しい雲海を臨むことが出来た。

 

雲海に覆われているのは、世界でも最大級の規模を誇る阿蘇カルデラ

30万年という時の中で形成された地形だ。

 

この大型火山が豊かな水資源を蓄え、大地を肥やし、生命を育んだ。

そして、時には災害をもたらした。

 

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冬の足音が近づく季節の夜、ゲストたちと焚火を囲んで、静かに語り合う。

 

それぞれの旅の話を聞いていると、やはり僕もまた旅に出たくなる。

何せ、僕はまだ世界を全然知らないのだ。

 

日本縦断を終えてある程度は落ち着くかと思ったが、旅立ちの衝動はいつでもまたやってくる。

腹が減ったのと同じように旅がしたくなる。

困ったものだ。

 

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僕は阿蘇の山を走っている。

聞こえるのは自分の足音と呼吸音、それから野鳥のさえずりと時々、牛の鳴く声。

 

どこに向かって走っているのだろう

ゴールが見えない。

だって世界はあまりにも広すぎる。

だから、頑張ることがどうしようもなく空虚なものに感じられることもある。

 

それでも、僕の両足は一歩一歩前に進む。

空虚であろうが何であろうが、前進している。

ただそれだけでいいのかもしれない。

 

幸福も成功もありやしない

そんなものは世間体だ。比較の世界だ。

比較の一切ない世界において、幸福やら成功やらが存在するのか甚だ疑わしい。

 

もちろん、ある程度の比較や競争が避けられないのが社会である。世間である。

しかし、その社会を構成するのは個人である。

社会とは、私であり、あなたである。

 

一人一人がそれぞれの道を進めば良いだけだ。

そうした認識をしたとき、「比較」「受容」「競争」「共存」へと形を変える。

多分。

 

ああ、言葉遊びもここまでくると非道いものだ。