『ながと旅ラン』(10/22)のご案内

「全国・世界各地に『旅ランコーディネーター』を増やしていきたいね」

走って日本一周をした、いっちーさんと今年の6月にそんな話をしていました。

僕はこれ、何年も前から言い続けているんですが、「走ること」と「旅すること」ってとても相性が良いと思っています。
僕も走って日本縦断をした経験から、走ることがその地域の魅力を知ることに繋がるっていうのは、本当に同意します。

ただ、見知らぬ土地で走りながら旅をするってなかなか難しいんです。
土地勘がないから大きな国道を走るだけになってしまったり、一日に走れる距離もある程度決まっているからあまり寄り道出来なかったり…

そこでやっぱり、その土地に精通した『旅ランコーディネーター』がいた方が、もっと気軽に旅ランを楽しめるよねー。
と、大体そんな内容のことをいっちーさんと話していました。

そんないっちーさんが企画している『旅ラン』イベントのご案内です!
現在、長門市地域おこし協力隊として活動しているいっちーさんのナビゲートの下、ながとを旅ランしてみてはいかがでしょうか?(^o^)

『ながと旅ラン』


ちなみに、これとほぼ同じコンセプトの『阿蘇ピクニックラン』も次回開催に向けて準備中です。
近い内にリリース予定ですので、そちらも是非よろしくお願いしますm(__)m

ただ悩みたいだけの人

 

「ただ悩みたいだけの人」がいる。

 

何か問題に直面したときに、解決策を探すわけでもなく、ただただ悩む。

おそらく、解決策を探すこと自体が面倒なのだろう。

 

なんだ、そんなことなら僕にだって心当たりはある。

もう考えることすら面倒なのだ。

 

解決策なんてものがあったとしても、それに立ち向かう気力がない。

できるものなら、解決策なんて知りたくもない。

解決策なんてものを知ってしまったら、解決に向かって頑張らなくてはいけないではないか。

その頑張る気力がないから悩むのである。

もう頑張りたくない。

だから、悩んだままでいたいのである。

 

それはそうと。

「悩む」と「考える」は違うらしい。

「悩む」とは“答え”を見つけるわけではなく、どうしようもないことを延延と気に揉んでいる状態。

「考える」とは“答え”に至るまでのプロセスを論理的に組み立てる行為のこと。

「悩む」ことは非生産的な行為であり、「考える」ことこそが生産的な行為であると。

 

堀江貴文氏は、たしかこんなことを言っていた。

「悩む」ことは物事を複雑にしていく行為で、「考える」ことは物事を単純にしていく行為だ。

とかそんな感じのことを。

 

ほうほう。

確かに当時は、僕もその理屈を聞いて妙に納得したのを覚えている。

それじゃ、「悩む」のではなくて、「考える」ようにしよう、と。

 

だが、それから僕も少し年をとって思う。

「人は誰しも悩みたいのではないか」

と。

 

「悩みがないのが悩みです」

なんて言う人がいて、以前は「はぁ?」なんて思っていたが、よく考えてみたらこれは実に言い得て妙である。

どんなに悩んでいなくても、その人は悩んでいるのである。

 

これはつまり、「悩みたい」ということだ。多分。

「悩み」を悪者扱いしない、実に達観した考え方だ。

 

「悩みがないのが悩みです」と言う人が何かに悩むようになったらどうなるのだろう?

「悩みができたから、私の悩みはなくなりました」とでも言うのだろうか。

・・・ん?

 

ああ、結局、常に悩んでいるじゃないか。

次から次へと悩みはやってくる。

いや、その人自身が「悩み」を獲りにいってるのではないだろうか。

 

 

人は、悩みたい。

ただただ、悩みたい。

こうして、どうしようもないことを延延と悩み続けていたい。

 

そして、悩み疲れたら、また動き出せばいい。

これまでの総走行時間を計算してみた

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前回の記事で

「僕が10年かけて走ってきた総時間ってどれくらいになるんだろう」

と書いたんですが、実際にその時間を計算してみました。

 

“就活”しなくても仕事の話を舞い込ませる方法

 

まず、僕は月に大体400km程走ります。

 

マラソンシーズン中は、月間約500~600km

オフシーズンは、月間約300~400km

走って日本縦断していた時は、月間800~1000km

 

と、時期によってバラつきはありますが、間をとって「月間400km」という数字を基準に計算してみます。

 

月間400km×12ヶ月=年間4800km

 

そして、僕のランニング歴が今年で11年

中学時代はそれほど距離を踏んでいなかったので、マイナス1年で調整し、「10年」で計算してみます。

 

年間4800km ×10年=48000km

 

と言う風に計算すると、これまで走った距離は約4万8000km

(地球を一周する長さが4万kmらしいです。)

 

これを時速10km(6分/kmペース)で走ったとすると、

 

48000km÷10km=4800時間

 

4800時間ということは、200日間ですね。

敢えて言い換えるなら、約7ヶ月間不眠不休で走り続けるようなものです。

もちろん7ヶ月間ぶっ続けで走るのは無理があるので、僕の場合は11年かけてコツコツと走り続けてきたわけですが。

 

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さて、これを無駄な時間と思うか、それとも今後に活かせるアドバンテージと思うかは自分次第。

 

もちろん、僕よりランニング歴が長い人もいるし、僕より長い距離を走ってる人もたくさんいます。

でも、そんな数字だけじゃあんまり意味はなくて

そこから得られた原体験こそが貴重なリソースです。

そして、それらは工夫次第でいろんな価値になり得ると思うのです。

 

僕の場合、「ランニング」「旅」を掛け合わせて、その価値を自分なりに探求してきました。

 

車ではあっという間に見過ごしてしまうけれど、走りながら旅をしているからこそその場ですぐに足を止めて眺めることのできる景色

自分の足で旅するからこそ分かる目的地までの距離感や、ずしりとのしかかってくる身体的疲労感

走っている時の無駄が削ぎ落とされた思考の中に飛び込んでくる旅先の刺激的な景色忘れられない出来事

身体的・精神的疲労を乗り越えてゴールに辿り着いたときの達成感

そして美味い飯癒しの温泉

 

とかまあ、いろいろありますが以上はあくまで僕が個人的に感じたものに過ぎないので押し付けません。

 

ただ、「ランニング」という切り口で「旅」を楽しむ、その「地域」を楽しむきっかけを世界のいろんなところで創れたらいいなと思うのです。

 

まずは阿蘇でそういうことがやれたらいいな。

 

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“就活”しなくても仕事の話を舞い込ませる方法

 

これ、書くかどうか迷いましたが・・・。

なにせ自分みたいな若造が「仕事論」をいろいろ語っても説得力ないですから。

ただ、今まさに僕が経験していること、考えていること、を記しておくことにも意義はあるのかなと思って書いてみます。

 

“就活”を途中で辞めた大学時代

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今年も3月に入って、就職活動いわゆる“就活”が解禁されました。

巷にはスーツを着た大学生が溢れています。

就活生です。

 

僕も2年半ほど前でしょうか。

黒いスーツに身を包んで「就職説明会」なるものに足を運んでいました。

 

ところが、うーん…

 

もちろん、就活は就活で得るものは大きかったです。

ただ、僕としては「ああ、こんなものか」止まりで、どうにも釈然としなかったのです。

 

「自分にはもっとやりたいことがある!」

 

・・・気がしていました。

というより、多分そう信じたかったんですかね。

とにかく、当時はまだ自分の進路を一つに絞る勇気がありませんでした。

 

進路に「正解」はない、と悟った

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じゃあ、何をするのかってなったときに、起業やら旅やらいろいろ考えました。

そして、ちょこちょこいろんなものに手を出していましたが、相変わらずどれも中途半端。

僕がやってきたことといえば、誰かの真似事だったり、見栄を張るための活動だったり、なんとなくキラキラしてるものに引き寄せられているだけだったり。

 

で、迷走しまくっている内に、悟りました。

「進路に正解はないんだ」

と。

 

そこで、自分の足下を見直してみました。

いろいろ迷走してきた中でも、なんだかんだずーっと続けてきたことが僕にはありました。

それが、「走ること」です。

 

13才の頃から10年以上走ってきました。

中学1年の時に陸上部に入ってから、大学2年まで陸上競技として長距離を走りました。

高校の時は大学受験の時期にも関わらず走り過ぎて指定校推薦を取り消されました。

一度競技から離れた時期もありましたが、やがてタイムや成績に囚われず走ることの楽しみを思い出し、やはり今でも自分のペースで走り続けています。

早朝でも走るし、旅先でも走るし、通学中も通勤中も走るし、飲み会の帰り道に走ることもあります。

 

そこで、

「あ、これかもしれない」

となったわけです。

 

あくまで、「~かもしれない」です。

正解じゃありませんから。

 

ただ、賭けてみただけなんです。

 

 

チャンスが舞い込んでくるようになった

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「でも、ただ走るだけじゃ特別感ないなぁ」

「そうだ、自分は旅も好きだし、走りながら旅してみよう」

 

それで、大学4年の時にバイトでお金を貯めて、卒業後『日本縦断ラン』の旅へ出発。

福岡から北海道まで約3700km走りました。

 

それから福岡に戻ってきたあたりからです。

僕の元に自然と面白い仕事の話が舞い込んできました

しかもランニング関係の。

 

内容はあまり深く触れられませんが、どれも魅力的な仕事ばかりでした。

あ、でも正直に言うと怪しい話もいくつかありましたが…

 

とにかく、日本縦断を経て良くも悪くもいろんなチャンスを引き付けるようになったな、という感覚があります。

僕は走りながら“就活”をしていたのかもしれません。

 

『やり続けること』と『発信し続けること』

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前置きが長くなりましたが、では本題。

“就活”しなくても仕事の話を舞い込ませる方法

でしたね。はい。

 

僕が思うに、

『やり続けること』『発信し続けること』

この2つです。

 

まず、前者について。

『やり続けること』

やっぱりこれに敵うものはないんじゃないかなあ、と。

 

結局、人生の中で「時間」って有限なわけで。

「どう生きるか」っていうのは、「時間」という資源を何にどれだけ投入するか、だと思うんです。

 

僕が10年かけて走ってきた総時間ってどれくらいになるんだろう。

多分、バカみたいな時間走ってきたと思います。

 

続けられるか or 続けられないか。

すなわち、

時間をかけ続けられるか or 時間をかけ続けられないか。

 

続けられなかったら、それはそれでオーケーじゃないですか。

それは多分あなたの好きな事ではないので、惰性でやり続けるのは時間の無駄かもしれません。

別のことにトライするか、これまで自分が続けてきたものは何かもう一度確認してみるのも良いかもしれません。

 

次に、後者について。

『発信し続けること』

これだけ個人で情報発信することが簡単な時代です。

ブログだろうがSNSだろうが何だって活用しちゃえば良いです。

 

別にネットだけにこだわらず、

「自分は○○が好きです」

「こういうことがやりたいです」

って言い続けていれば、誰かしらが反応してくれるはずです。

それがキッカケになって、仕事が生まれるかもしれません。

一人でやるのは中々難しいことでも、誰かが協力してくれれば実現の可能性は格段に大きくなります。

 

僕自身もいろんな方々から有り難いお話を頂いて、ようやく自分のやりたいランニングの仕事に挑戦できそうな環境が整いつつあります。

これらのご縁には感謝しかありません。

 

あと、肝心なことが一つ。

ここでは、『やり続けている』ということが前提なんです。

 

『発信し続ける』だけでは、結局“口だけ”に過ぎません。

いや、最初はそれでいいかもしれませんが、いずれは「行動」で示した方が良いと思います。

実際にやり続けているという「行動の積み重ね」があるかどうかで、その説得力は全く違ってくるからです。

 

僕もかつてそうでしたが(今も多少はそうだけど…)、“口だけ”の状態ではいろんな人にツッコまれます。

「ランニング関係の仕事がしたい」とかフワフワしたことを言うと、批判や否定的な説教を食らいました。

まあ、それはそれで有り難い話なんですが。

 

ところが、実際にある程度のことをやり遂げた後は周りの人々の反応が変わりました。

僕の場合、それは『日本縦断ラン』になるのですが、これをやり遂げた後は自然と否定的な意見を聞くことは減り、次に繋がるようなお話を頂くことが増えました

僕は一貫して「ランニング関係の仕事がしたい」と言っているだけなんですが、裏付けとしての行動があるだけでこうも反応が違うんだな、とちょっと驚いています。

 

“結果的に”こうなっただけ

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というわけで、僕も今度の4月から阿蘇で仕事をさせてもらいます。

ようやくニート卒業です。

これまで散々言ってきた「ランニング関係」の仕事も形にしたいと思います。

 

と、偉そうに就職のためのハウツーを書き連ねてしまいましたが、僕はこのやり方が「正解」だと言うつもりはありません。

ただ、一つの進路選択の方法として参考になれば幸いです。

 

僕は別に明確なゴールを持っているわけではありませんが、仕事に限らず、やってみたいと思うことはいくつもあります。

それらを実現するプロセスを楽しめたらオーケーだと僕は思っていて、様々な縁によって“結果的に”こういう流れを辿っただけなんです。

 

進路に「正解」がないとするならば、その時その時で自分のセンサーが傾くものを信じて『やり続けること』『発信し続けること』

後は、流れに身を任せれば割と面白いことになるんじゃないかな、と思うのです。

5ヶ月ぶりの合同練習

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3/12(土)は、約5ヶ月ぶりに福岡のランニングチーム『朝練会』に参加。

 

8:00~/ 3℃

20km ペース走 (大濠公園2km×10周)
… 1:18:22
<LAP>
7:57
-7:54
-7:58
-7:53
-7:56
-7:58
-7:53
-7:53
-7:53
-3:52(1km)
-3:11(1km)

心肺: 3
動き: 5

 

●別府大分マラソン以降、燃え尽き症候群でたるみにたるんでいた自分に刺激を入れる。

1ヶ月以上、4分/kmペースで走る事はしていなかったが、案外身体は4:00/kmペースを覚えていた
慢性疲労がなかったこともあり、身体はよく動いてくれた。

最近取り入れた体幹トレーニングのおかげで体幹の維持も意識出来た。

 

●時々小雨が降る中、気温も3℃とここ数日の中では寒い。

最初の4kmで身体を温めながら、動きをリズムに乗せる。
それ以降は淡々と同じリズムを刻んで走れた。

また、予想以上に身体が動いていたので最後の1kmだけ動きを切り替えペースアップ。
心肺もそれなりに追い込めた。
ラスト1kmは3:11。
1kmだけ走る時でも、このタイムは最近滅多に出せないのに…。笑

だが、体重増加が祟り、スピードを上げて走った後は膝が軋む
日常生活から意識を切り替えて、身体を絞らなければ。

 

●ここ数年ずっと一人で走っていることが多く、阿蘇ではポイント練習も全部一人でやっていたので、久しぶりの合同練習はやはり良い刺激になった。

最近、訳もなく気分がモヤモヤすることが多かったが、原因は単純明快。

走っていなかったからだ!

 

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練習日誌はこちら⇒JogNote (ジョグノート)

5年

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東日本大震災から5年。

僕は去年初めて被災地に足を運びました。

それぞれの町で復興の状況は違うし、もっと言えば一人一人によっても状況は違います。
だから、「被災地」という言葉ではとてもひとくくりには出来ませんが。

津波の爪痕を残す風景、復興に突き進む町の人達の力強さ、未だ癒えない心の傷。

様々なものが目の前に現れ、ただただ呆然としてしまいました。

自分に何が出来るのだろう?

それはまず、自分があの時東北で感じた思いを忘れないことなのかな、と。

亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災地の復興を願ってキャンドルを灯します。


5 years have passed since the great earthquake in East Japan.

I visited there last year.


There are so many aspect on that disaster that it cannot be explained by simple words.

When I went there, I just lost my words.


Only I can do is not to forget those feelings l had there.


Pray for 3.11.

ともしびプロジェクト

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人間、結局“ないものねだり”する生き物

 

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“ないものねだり”

 

人間って実にわがままですね。

 

都会にいたら田舎が恋しくなるけど、田舎にいたら都会が恋しくなる。

集団生活をしていたら一人になりたくなるけど、かといって一人で生活していたら人が恋しくなる。

仕事ばかりで忙しいときは「休みたい」と思うけど、いざ休みばかりで暇を持て余すと「働きたい」と思う。

同じ場所で生活していると「旅に出たいなー」と思うけど、毎日毎日放浪の旅をしていると「そろそろどこかに腰を据えて生活したいなー」と思う。

 

※以下、ランナー向け

走ってばかりいると休みたいと思うけど、休んでばかりいるとまた走りたくなってくる。

記録ばかり求めて走っていると「ただ単純に楽しんで走りたい」と思うけど、ゆるーく走ってばかりいると記録を求めたくなってくる。

スピード練習ばかりしていたら距離走が恋しくなるけど、距離走ばかりしていたらスピード練習が恋しくなる。

 

ああ、人間って結局“ないものねだり”なんだなぁ、と思いますね。

 

 

「ない状態」を知るから「ある状態」の有難さが分かる

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これは、よく言われる言葉に言い換えたら

「失って初めてその有難みに気付く」

とでもなりましょうか。

 

毎度のことながら、日本縦断ランの経験を引き合いに出しますが、例えばお風呂

多分一般的な日本人だったら毎日お風呂に入るのが当たり前だと思いますが、節約旅をしていたら一週間以上お風呂に入らないことなんてざらにあるわけです。

一週間以上ぶりに入るお風呂なんてあり得ないくらい気持ち良いですからね。

本当にお風呂の有難みを感じます。

お風呂のない生活をしていたからこそ。

 

同じく野宿も。

僕の場合、一日40km以上も走った日に野宿するという生活が何日も続いたりしましたから、疲労がなかなかとれません。

そんなときに見知らぬ人が家に泊めてくれて、フカフカお布団の上で寝させてくれたときにはもうあり得ないくらい気持ち良いですからね。

屋根があって壁があるところで安心して寝れる。

それだけのことが、何と素晴らしいことなんだと思うんですね。

毎日野宿していたからこそ。

 

そして、それと同時に人の優しさにもあり得ないくらい感動します。

 

「ない状態」を知るから「ある状態」の素晴らしさに気付くんです。

 

「あり過ぎる」と「ない状態」を求め始める

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ところが、不思議なことに人間は「あり過ぎる」ものを煩わしいと思い始めます。

 

情報にしてもそう。

仕事にしてもそう。

物質的なものにしてもそう。

人付き合いにしてもそう。

 

僕も確かに、久しぶりに屋内で布団の上で寝たときはその快適さに感動します。

しかし、やっぱり野宿も野宿で楽しいことがあるんです。

満天の星空を眺めながら、夏の夜風を肌に感じ、自然の暗闇に溶け込んで眠りに落ちるあの感覚。

結構クセになります。

 

この場合、つまり快適な家の中で寝ている場合、

それは「刺激がない状態」ともいえるんですね。

「快適さがある」ということは「刺激がない」ということでもあるんです。

(もちろん、どっちが正しいとかいうわけではなく)

だから、“そこにはない刺激”を求めて旅人はまた旅に出ると思うのです。

 

仕事に関して言えば。

仕事が忙しいときは「休みが欲しい」と思います。

それは“休みがない”からです。

でも、いざ休んでばかりいると暇を持て余してしまっていずれ「働きたい」と思い始めます。多分。

それは“働きがいや生きがい、刺激がない”からです。

 

やっぱり“ないもの”を求めてしまうんですね。

不思議です。

人間は欲望の塊です。

 

“心変わり”を認めてあげること

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つまり、何が言いたいかというとですね。

あなたが求めるものには、それを求めるタイミングがある

ということです。

 

 

要するに“心変わり”と言いますか。

誰だって心変わりくらいするんじゃないでしょうか。

 

「私の好きなことはこれだ!」と思ったことが、やってみると案外そうでもなかったりとかも多分すると思います。

こんなにランニング、ランニングばっかり言ってる僕ですら、時には走りたくないと思うこともあるくらいですから、多分間違いないです。

 

心変わりは、します。

自然な事です。

 

ところが、今の日本社会には、「心変わりを許さない風潮」が根強く残っている気がします。

例えば就職する際に、どれだけ長く勤められるかが重要な判断材料となります。

「この会社に忠誠を誓い、生涯をかけて献身し続けられますか?」

という問いに、断固たる自信を持ってイエスと答える人が企業に採用されやすいのです。

その自信はどこから生まれるのでしょうか。

 

もちろん、ここには企業側の都合もあるから仕方ないんですけどね。

ただ、もう少し“心変わり”に寛容なシステムになっても良いのではないかな、と思います。

 

現代社会は物凄いスピードで変化していると言われていますが、それは多分人間の心変わりが物凄いスピードで社会に反映されていっているということだと思うんですね。

インターネットとかの普及によって。

消費者のニーズも、労働者のニーズも、企業のニーズもどんどん変わっていく。

 

そんなご時世に、単一の所属、単一の手法、単一の信念に拘り続けるのもどうかと思うのです。

近い将来、「初志貫徹」「迷いがない」といった美辞が通用しなくなることが増えてくるかもしれません。

 

だから、僕のこの考え方もすぐに変わっちゃうかもですね。

「心変わりする」という考えが「心変わりする」。

ああ、逆説的。