阿蘇市民になりました

10410377_928375237279348_4344034022185534251_n

本日3/31より阿蘇の大地に住まわせてもらいます。

12933108_928375273946011_7247732692018276375_n

今朝は阿蘇に戻ってきて早速、雲海を臨むことができました。
これから毎日、大観峰を走れると思うとワクワクです。

12418072_928375300612675_1902761177888895320_n

12472773_928375340612671_1608008447170220665_n

新居がやたら広くて、一人だと寂しいので皆さん遊びに来て下さい。笑

934141_928375257279346_1716204927296721921_n

“就活”しなくても仕事の話を舞い込ませる方法

 

これ、書くかどうか迷いましたが・・・。

なにせ自分みたいな若造が「仕事論」をいろいろ語っても説得力ないですから。

ただ、今まさに僕が経験していること、考えていること、を記しておくことにも意義はあるのかなと思って書いてみます。

 

“就活”を途中で辞めた大学時代

20140306_115648

今年も3月に入って、就職活動いわゆる“就活”が解禁されました。

巷にはスーツを着た大学生が溢れています。

就活生です。

 

僕も2年半ほど前でしょうか。

黒いスーツに身を包んで「就職説明会」なるものに足を運んでいました。

 

ところが、うーん…

 

もちろん、就活は就活で得るものは大きかったです。

ただ、僕としては「ああ、こんなものか」止まりで、どうにも釈然としなかったのです。

 

「自分にはもっとやりたいことがある!」

 

・・・気がしていました。

というより、多分そう信じたかったんですかね。

とにかく、当時はまだ自分の進路を一つに絞る勇気がありませんでした。

 

進路に「正解」はない、と悟った

20130505_100658

じゃあ、何をするのかってなったときに、起業やら旅やらいろいろ考えました。

そして、ちょこちょこいろんなものに手を出していましたが、相変わらずどれも中途半端。

僕がやってきたことといえば、誰かの真似事だったり、見栄を張るための活動だったり、なんとなくキラキラしてるものに引き寄せられているだけだったり。

 

で、迷走しまくっている内に、悟りました。

「進路に正解はないんだ」

と。

 

そこで、自分の足下を見直してみました。

いろいろ迷走してきた中でも、なんだかんだずーっと続けてきたことが僕にはありました。

それが、「走ること」です。

 

13才の頃から10年以上走ってきました。

中学1年の時に陸上部に入ってから、大学2年まで陸上競技として長距離を走りました。

高校の時は大学受験の時期にも関わらず走り過ぎて指定校推薦を取り消されました。

一度競技から離れた時期もありましたが、やがてタイムや成績に囚われず走ることの楽しみを思い出し、やはり今でも自分のペースで走り続けています。

早朝でも走るし、旅先でも走るし、通学中も通勤中も走るし、飲み会の帰り道に走ることもあります。

 

そこで、

「あ、これかもしれない」

となったわけです。

 

あくまで、「~かもしれない」です。

正解じゃありませんから。

 

ただ、賭けてみただけなんです。

 

 

チャンスが舞い込んでくるようになった

604111_746588345458039_6891695848774497397_n

「でも、ただ走るだけじゃ特別感ないなぁ」

「そうだ、自分は旅も好きだし、走りながら旅してみよう」

 

それで、大学4年の時にバイトでお金を貯めて、卒業後『日本縦断ラン』の旅へ出発。

福岡から北海道まで約3700km走りました。

 

それから福岡に戻ってきたあたりからです。

僕の元に自然と面白い仕事の話が舞い込んできました

しかもランニング関係の。

 

内容はあまり深く触れられませんが、どれも魅力的な仕事ばかりでした。

あ、でも正直に言うと怪しい話もいくつかありましたが…

 

とにかく、日本縦断を経て良くも悪くもいろんなチャンスを引き付けるようになったな、という感覚があります。

僕は走りながら“就活”をしていたのかもしれません。

 

『やり続けること』と『発信し続けること』

16488_658800307587149_299088533882499542_n

前置きが長くなりましたが、では本題。

“就活”しなくても仕事の話を舞い込ませる方法

でしたね。はい。

 

僕が思うに、

『やり続けること』『発信し続けること』

この2つです。

 

まず、前者について。

『やり続けること』

やっぱりこれに敵うものはないんじゃないかなあ、と。

 

結局、人生の中で「時間」って有限なわけで。

「どう生きるか」っていうのは、「時間」という資源を何にどれだけ投入するか、だと思うんです。

 

僕が10年かけて走ってきた総時間ってどれくらいになるんだろう。

多分、バカみたいな時間走ってきたと思います。

 

続けられるか or 続けられないか。

すなわち、

時間をかけ続けられるか or 時間をかけ続けられないか。

 

続けられなかったら、それはそれでオーケーじゃないですか。

それは多分あなたの好きな事ではないので、惰性でやり続けるのは時間の無駄かもしれません。

別のことにトライするか、これまで自分が続けてきたものは何かもう一度確認してみるのも良いかもしれません。

 

次に、後者について。

『発信し続けること』

これだけ個人で情報発信することが簡単な時代です。

ブログだろうがSNSだろうが何だって活用しちゃえば良いです。

 

別にネットだけにこだわらず、

「自分は○○が好きです」

「こういうことがやりたいです」

って言い続けていれば、誰かしらが反応してくれるはずです。

それがキッカケになって、仕事が生まれるかもしれません。

一人でやるのは中々難しいことでも、誰かが協力してくれれば実現の可能性は格段に大きくなります。

 

僕自身もいろんな方々から有り難いお話を頂いて、ようやく自分のやりたいランニングの仕事に挑戦できそうな環境が整いつつあります。

これらのご縁には感謝しかありません。

 

あと、肝心なことが一つ。

ここでは、『やり続けている』ということが前提なんです。

 

『発信し続ける』だけでは、結局“口だけ”に過ぎません。

いや、最初はそれでいいかもしれませんが、いずれは「行動」で示した方が良いと思います。

実際にやり続けているという「行動の積み重ね」があるかどうかで、その説得力は全く違ってくるからです。

 

僕もかつてそうでしたが(今も多少はそうだけど…)、“口だけ”の状態ではいろんな人にツッコまれます。

「ランニング関係の仕事がしたい」とかフワフワしたことを言うと、批判や否定的な説教を食らいました。

まあ、それはそれで有り難い話なんですが。

 

ところが、実際にある程度のことをやり遂げた後は周りの人々の反応が変わりました。

僕の場合、それは『日本縦断ラン』になるのですが、これをやり遂げた後は自然と否定的な意見を聞くことは減り、次に繋がるようなお話を頂くことが増えました

僕は一貫して「ランニング関係の仕事がしたい」と言っているだけなんですが、裏付けとしての行動があるだけでこうも反応が違うんだな、とちょっと驚いています。

 

“結果的に”こうなっただけ

20160201_1239361

というわけで、僕も今度の4月から阿蘇で仕事をさせてもらいます。

ようやくニート卒業です。

これまで散々言ってきた「ランニング関係」の仕事も形にしたいと思います。

 

と、偉そうに就職のためのハウツーを書き連ねてしまいましたが、僕はこのやり方が「正解」だと言うつもりはありません。

ただ、一つの進路選択の方法として参考になれば幸いです。

 

僕は別に明確なゴールを持っているわけではありませんが、仕事に限らず、やってみたいと思うことはいくつもあります。

それらを実現するプロセスを楽しめたらオーケーだと僕は思っていて、様々な縁によって“結果的に”こういう流れを辿っただけなんです。

 

進路に「正解」がないとするならば、その時その時で自分のセンサーが傾くものを信じて『やり続けること』『発信し続けること』

後は、流れに身を任せれば割と面白いことになるんじゃないかな、と思うのです。

5年

20160311_170642

東日本大震災から5年。

僕は去年初めて被災地に足を運びました。

それぞれの町で復興の状況は違うし、もっと言えば一人一人によっても状況は違います。
だから、「被災地」という言葉ではとてもひとくくりには出来ませんが。

津波の爪痕を残す風景、復興に突き進む町の人達の力強さ、未だ癒えない心の傷。

様々なものが目の前に現れ、ただただ呆然としてしまいました。

自分に何が出来るのだろう?

それはまず、自分があの時東北で感じた思いを忘れないことなのかな、と。

亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災地の復興を願ってキャンドルを灯します。


5 years have passed since the great earthquake in East Japan.

I visited there last year.


There are so many aspect on that disaster that it cannot be explained by simple words.

When I went there, I just lost my words.


Only I can do is not to forget those feelings l had there.


Pray for 3.11.

ともしびプロジェクト

226

秋吉台トレイルラン&山焼き

20160303_174851

 

日本最大規模のカルスト台地・秋吉台

ちょこっと見るだけのつもりだったけど、こんな雄大な景色を目の前にしたら走り出さずにはいられない。

20160303_17175920160303_171826

20160303_165629

最終バスも去った後、秋吉台トレイルをほぼ一人貸し切り状態で走り回る。

何千人も何万人も集まるレースで走るのも良いけど、こうして一人黙々と楽しむランニングも良い。

20160303_170306

20160303_171603

20160303_171048

20160303_170819

いやー、気持ち良い。

不整地を走るので、普段使わない筋肉を鍛えることができ、神経系にも普段とは違う刺激が入る。

 

また、この秋吉台トレイルコースは、ランニング、ウォーキング、トレッキングなどのアクティビティを積極的に押し出している。

コースマップも丁寧に作られている。

 

僕はランニングを通じて阿蘇の魅力をいろんな人に伝えていきたいと考えているのだが、阿蘇にもここと同じように雄大な草原が広がっているので見習う部分は多い。

 

20160303_135455

 

さらに、年に一回「山焼き」がジャストタイミングで明日行われるとのこと。

草原の維持管理に必要な地域行事だ。

 

阿蘇の野焼きもそうだが、「山焼き」毎年2月に予定されているものの、どうしても天候によって順延しがちなのである。

それが、今回は順延した日程と偶然タイミングが重なったのだ。

これは見逃すわけにはいかない。

 

…ということで、今夜は日本最大のカルスト台地で野宿!

寝袋すらないけど。笑

20160303_175124

と意気込んでみたのは良かったが、日が暮れて3時間後、野宿断念。。。

近くのホテルにチェックインした。

この時期に寝袋なしで野宿は流石に無理があった。

 

20160304_095348

20160304_103406

20160304_103601

なんだかんだで、翌朝はしっかり「山焼き」を拝見。

 

ゴーゴー、バチバチ焼いている。

昨日駆け回っていた草原がみるみるうちに真っ黒焦げに。

今年は阿蘇の野焼きが見れなかったから、ここで見れて良かった。

 

20160304_131624

野焼き終了後の秋吉台はこんな感じ。

真っ黒なカルスト台地に、むき出しの石灰岩の白さが際立つ。

 

うん、良いもん見れた。

 

お世話になった人に会いに行く旅

20160301_203834

山口県光市

日本縦断の時にお世話になった方々と再会しました。

 

※参考過去記事

日本縦断ラン 5~6日目(山口)

 

前回と同じように、温かく僕を迎えてくれた光の方々。

こうしてまた光に来れたことが嬉しいです。

 

正直、観光地としての強みがそれほどあるわけではない光。

しかし、“人”が僕をその地に引き寄せます。

そうして、世界のあちこちに自分の帰る場所が増えていったら良いなぁ、なんて思ったりします。

 

20160302_175225

 

旅先での出会いが良いなんてよく言いますが、一度会ったくらいではなかなか次に繋がらず、それっきりになってしまうことも多いです。

だから今回の旅では、お世話になった方々に“もう一度”会いに行こうと思いました。

 

一続きの旅路でお世話になった方全員に会いに行くのはなかなか難しいですが、単発の旅でも是非また会いに行こうと思います。

 

日本縦断中、各地で「また遊びに来ます!」と言い放ってばかりの僕でしたが、

これが「行く行く詐欺」にならないように気を付けます。

 

いや、別に変な義務感を持っている訳ではないんですけど。

むしろ僕には「またその場所へ行く理由」があることが嬉しいです。

 

20160302_180045

 

あ、それから、光のランニング仲間の方々と話していて『阿蘇ランニング合宿』のアイデアが結構ウケが良かったので、是非実現したいと思います。

マラソンによる観光と言っても、単なるレースよりもう一歩踏み込んだ企画がこれからは大事なんじゃないかな。

人間、結局“ないものねだり”する生き物

 

20150405_143830

“ないものねだり”

 

人間って実にわがままですね。

 

都会にいたら田舎が恋しくなるけど、田舎にいたら都会が恋しくなる。

集団生活をしていたら一人になりたくなるけど、かといって一人で生活していたら人が恋しくなる。

仕事ばかりで忙しいときは「休みたい」と思うけど、いざ休みばかりで暇を持て余すと「働きたい」と思う。

同じ場所で生活していると「旅に出たいなー」と思うけど、毎日毎日放浪の旅をしていると「そろそろどこかに腰を据えて生活したいなー」と思う。

 

※以下、ランナー向け

走ってばかりいると休みたいと思うけど、休んでばかりいるとまた走りたくなってくる。

記録ばかり求めて走っていると「ただ単純に楽しんで走りたい」と思うけど、ゆるーく走ってばかりいると記録を求めたくなってくる。

スピード練習ばかりしていたら距離走が恋しくなるけど、距離走ばかりしていたらスピード練習が恋しくなる。

 

ああ、人間って結局“ないものねだり”なんだなぁ、と思いますね。

 

 

「ない状態」を知るから「ある状態」の有難さが分かる

20150610_065433

これは、よく言われる言葉に言い換えたら

「失って初めてその有難みに気付く」

とでもなりましょうか。

 

毎度のことながら、日本縦断ランの経験を引き合いに出しますが、例えばお風呂

多分一般的な日本人だったら毎日お風呂に入るのが当たり前だと思いますが、節約旅をしていたら一週間以上お風呂に入らないことなんてざらにあるわけです。

一週間以上ぶりに入るお風呂なんてあり得ないくらい気持ち良いですからね。

本当にお風呂の有難みを感じます。

お風呂のない生活をしていたからこそ。

 

同じく野宿も。

僕の場合、一日40km以上も走った日に野宿するという生活が何日も続いたりしましたから、疲労がなかなかとれません。

そんなときに見知らぬ人が家に泊めてくれて、フカフカお布団の上で寝させてくれたときにはもうあり得ないくらい気持ち良いですからね。

屋根があって壁があるところで安心して寝れる。

それだけのことが、何と素晴らしいことなんだと思うんですね。

毎日野宿していたからこそ。

 

そして、それと同時に人の優しさにもあり得ないくらい感動します。

 

「ない状態」を知るから「ある状態」の素晴らしさに気付くんです。

 

「あり過ぎる」と「ない状態」を求め始める

9

ところが、不思議なことに人間は「あり過ぎる」ものを煩わしいと思い始めます。

 

情報にしてもそう。

仕事にしてもそう。

物質的なものにしてもそう。

人付き合いにしてもそう。

 

僕も確かに、久しぶりに屋内で布団の上で寝たときはその快適さに感動します。

しかし、やっぱり野宿も野宿で楽しいことがあるんです。

満天の星空を眺めながら、夏の夜風を肌に感じ、自然の暗闇に溶け込んで眠りに落ちるあの感覚。

結構クセになります。

 

この場合、つまり快適な家の中で寝ている場合、

それは「刺激がない状態」ともいえるんですね。

「快適さがある」ということは「刺激がない」ということでもあるんです。

(もちろん、どっちが正しいとかいうわけではなく)

だから、“そこにはない刺激”を求めて旅人はまた旅に出ると思うのです。

 

仕事に関して言えば。

仕事が忙しいときは「休みが欲しい」と思います。

それは“休みがない”からです。

でも、いざ休んでばかりいると暇を持て余してしまっていずれ「働きたい」と思い始めます。多分。

それは“働きがいや生きがい、刺激がない”からです。

 

やっぱり“ないもの”を求めてしまうんですね。

不思議です。

人間は欲望の塊です。

 

“心変わり”を認めてあげること

27

つまり、何が言いたいかというとですね。

あなたが求めるものには、それを求めるタイミングがある

ということです。

 

 

要するに“心変わり”と言いますか。

誰だって心変わりくらいするんじゃないでしょうか。

 

「私の好きなことはこれだ!」と思ったことが、やってみると案外そうでもなかったりとかも多分すると思います。

こんなにランニング、ランニングばっかり言ってる僕ですら、時には走りたくないと思うこともあるくらいですから、多分間違いないです。

 

心変わりは、します。

自然な事です。

 

ところが、今の日本社会には、「心変わりを許さない風潮」が根強く残っている気がします。

例えば就職する際に、どれだけ長く勤められるかが重要な判断材料となります。

「この会社に忠誠を誓い、生涯をかけて献身し続けられますか?」

という問いに、断固たる自信を持ってイエスと答える人が企業に採用されやすいのです。

その自信はどこから生まれるのでしょうか。

 

もちろん、ここには企業側の都合もあるから仕方ないんですけどね。

ただ、もう少し“心変わり”に寛容なシステムになっても良いのではないかな、と思います。

 

現代社会は物凄いスピードで変化していると言われていますが、それは多分人間の心変わりが物凄いスピードで社会に反映されていっているということだと思うんですね。

インターネットとかの普及によって。

消費者のニーズも、労働者のニーズも、企業のニーズもどんどん変わっていく。

 

そんなご時世に、単一の所属、単一の手法、単一の信念に拘り続けるのもどうかと思うのです。

近い将来、「初志貫徹」「迷いがない」といった美辞が通用しなくなることが増えてくるかもしれません。

 

だから、僕のこの考え方もすぐに変わっちゃうかもですね。

「心変わりする」という考えが「心変わりする」。

ああ、逆説的。

 

プロセスのある旅

20160301_113505

 

約1年前、走って日本縦断をし始めた頃。

その時走ったルートにほぼ沿って、今、北上している。

あ、今回は電車で。

見覚えのある町並みを眺めながら。
聞き覚えのある地名を電車のアナウンスで聞きながら。

全国的にはほとんど無名の町ばかりだけれど、僕にとってはどの町も、いや道のひとつひとつすら、全て思い出深い。

「あそこで野宿したなぁ」とか、
「ここで大雨が降ってびしょ濡れになったなぁ」とか、
「ここの坂道キツかったなぁ」
「脚が痛くてたまらんかったなぁ」
「あのコンビニで差し入れをくれたおばちゃん元気かなぁ」とか。

やっぱり、“プロセスのある旅”はずっと記憶に残るのだと思う。

20160301_134525

吹雪の中、南小国をサイクリングするの巻

12742139_963589680396311_4445078993002326233_n

2/15『阿蘇ネイチャーランド』の方々と熊本県・南小国町サイクリングしてきました。

 

サイクリング、パラグライダー、トレッキングなどの様々なアクティビティを通して、阿蘇周辺の魅力を人々に伝えている『阿蘇ネイチャーランド』

阿蘇の自然資源を活かしたアクティビティは、いわゆる地域活性化の一役を担います。

 

今回は南小国町サイクリングコースを下見するということで、僕も一緒に同行させてもらいました。

 

さて、当日のコンディション。

天候は吹雪

気温マイナス5℃

はおそらく7~8m/sくらい吹いていました。

 

サイクリングするには全くふさわしくないコンディション!

凍死するかと思いました

 

ですが、これくらいで音を上げているようでは真の阿蘇人とはいえませんね。

まだまだ僕は修行不足のようです。

 

今回は標高900m瀬の本高原から出発し、草原里山小さな温泉街などを眺めるコースを走ります。

12717806_963589720396307_8866940132558713484_n

しかし、スタートの時点で強烈に寒い。

そして、風が凄まじい。

 

しかしまあ、こんなに過酷なコンディションでサイクリングすることもないので、せっかくなら楽しみましょう。

 

途中、マウンテンバイクを停めて景色を眺めるのですが、普段は見渡す限りの草原や山並みが吹雪のため視界ゼロ

完全にホワイトアウトです。

 

寒風が吹き付ける顔面が痛み、両手の指はすぐさま操作不能に陥りました。

 

先に楽しもうと言ったけれど、これは流石にダメなやつか。。。

 

脳が上手く働いてくれません。

「寒い」

の一単語しか頭に浮かんできません。

 

そんな中、精一杯脳みそを騙しながら、周りの景色を楽しもうと試みます。

 

すると、雪のカーテンの合間からちらっと草原が見えました。

あぁ、晴れていたらさぞ綺麗なんだろうなぁ。

 

でも、これはこれで凄まじい景色だ。

なかなか見れるものではないぞ。

 

いや、そう思うしかないんですね。実際は。

 

しばらく走った後、坂を下って小田温泉エリアへ。

周りの林が風を防いでくれているおかげで少し体感的寒さは落ち着きました。

12744329_963589687062977_2797712089284348272_n

足湯の姿が見えたので、我らバイカー4人駆け込みます。

手袋と靴下を脱ぎ、冷え切った手足を湯桶に突っ込むと、あまりの温度差に感覚がありません。

長時間正座したときのあの痺れのようなものが手足にビリビリと伝導していきます。

それでも、少しずつ冷えがとれてきて、ひとまず助かりました。

 

 

さらに、お店の方がご厚意で火を焚いてくれて皆で暖をとりました。

火が温かければ、人も温かい南小国です。

12734067_963770523711560_4096888072232183584_n

しばらく暖をとって休憩した後、サイクリング再開。

少し風が弱まり、先程までと比べると大分寒さも感じません。

 

ようやく周りの景色を楽しむ余裕も出てきたところで、小国の杉林が僕らを包み込みました。

相変わらず寒風が木々を揺らしていますが、シンシンと降る雪が風の音を吸い込んでいるようです。

 

やがて景色が開け、日本の原風景というような美しい里山が目の前に広がりました。

晴れ間も見え始め、穏やかな景色に陽光が降り注ぎます。

小川は清らかで、勢いよくどこまでも続いていました。

清らかな水、豊かな土、澄んだ空気がこの美しい風景を作り上げているそうです。

 

あ、でも、ごめんなさい。

手が冷えすぎて写真は撮れませんでした。

実際に現地に行って見てみましょう。

 

やがて、民家が増え出し、南小国町の中心地へ到着。

これにてサイクリング終了。

 

丁度その時くらいから再び雪が強まってきました。

「うわ、こんな中サイクリングしてたのか」

と、なぜか急に正気に戻ったような気分に。

 

しかし、この過酷なコンディションでもサイクリングを敢行して良かった。

この原体験がたまらないんですよね。

ただ、次はもう少し晴れてた方が良いかな。

 

美しい景色を楽しみながらサイクリングしたい方は、是非阿蘇南小国へお越しくださいませ。

癒しのサイクリングコースがあなたを待っています。

一旦、自分を捨ててみる

20130317_100535

自分の好きな事にこだわり過ぎていた

 

僕はかねてよりどうしようもないほど自我が強くて、自分の好きな事を仕事にすることに相当のこだわりがありました。

すなわち「ランニング」「旅」

この2つの切り口で何か仕事がしたいな、と思っていたんですね。

 

ところが。

どういう風の吹き回しか、最近自分を捨ててみようという気になってきました。

 

つまり、「ランニング」や「旅」にこだわらず、もっと幅を広げてみようかと。

 

まだ詳しいことは言えませんが、有難いことに面白そうなお仕事の話をいくつか頂いているので前向きに検討しています。

 

やってみたら意外と面白いんじゃないか?

というのも、現在働いているゲストハウス『阿蘇び心』での経験によるところが大きいのかなぁと思います。

仕事内容は主に午前中の館内清掃と午後のチェックイン対応なんですが、その他に障子の張替え車のタイヤ交換庭の剪定DIYによる修繕作業などもやってきました。

いわゆる暮らし全般に関する仕事が多いのですが、これまで僕が経験したことのないものが多くありました。

 

そして、これがまた意外と楽しいんです。

障子張替えも車のタイヤ交換も庭の剪定もDIYも初めての経験でしたが、やってみたら意外と出来ました。

といっても、出来は下手くそなんですが。

 

それでも、何か一つ新しい経験をする度に自分がグレードアップしたような気分になります。

むしろ今までの自分がどれだけ未熟であったか思い知らされますよね。

何でもかんでも用意された環境で育ってきたんだなぁとも思います。

 

まあ、これはどんな仕事でもそうだと思いますが、面白さというのは自分で見つけるものなんですよね。

だから、どこに自分のセンサーが引っかかる仕事があるか分からない。

最初から「これだ」とあまり決めつけない方が良いのかもしれません。

 

捨てたつもりでも、残ってしまうのが「自分」

 

じゃあ、自分の好きなことは諦めるのか?

というと、それは違います。

 

そもそも、自分の好きなことというのは誰になんと言われようが勝手にやるものなんです。

それが趣味であろうと仕事であろうと、好きなことは自分から進んでやるはずです。

逆に言えば、どうしても嫌なことは誰に何と言われようとやらないのです。

 

僕なんか毎朝起きたらトイレに行くのと同じ感覚で走りに出かけます。

朝起きて、水を飲んで、靴紐を結んで、体操をして、走り始める、というのが一連の流れになっているんですね。

生活環境の変化によって、走る時間帯や走るシチュエーションは変わってきましたけれども、基本的に中学時代から変わらない習慣です。

僕は大学受験のときだろうが構わず走っていました。

周りからは呆れられていましたが。

 

そこまでやるってことはやっぱり走ることが好きなんでしょうね。

 

要するに、好きだからやるのではなく、

やり続けていることが、きっと自分の好きなことなんです。

 

それと同じで、その人の考え方行動規則なども既に染みついてしまったものです。

全ての人には、長年積み重ねてきた癖というものがあります。

それは多分、「朝ごはんはご飯派かパン派か」とか「醤油派かソース派か」とかそういうレベルです。

 

これはもう人の好みだから仕方ありません。

「自分」というのは捨てようと思っても勝手に残っているものなんです。

 

以前読んだ本で、作家の五木寛之氏がこのようなことを言っていました。

人間の免疫機能は、つまるところ“自己”“非自己”を識別する働きのことであると。

 

さらには、免疫機能は人間の脳をも凌駕するといいます。

つまり、「これは自分だ」と脳で考えていたとしても、免疫が「いや、これは自分ではない」と判断した場合、免疫は脳の判断を差し置いて、その“非自己”を排除しようとするというのです。

 

“自分らしさ”というのは頭で考えるものではなく、身体全体、細胞の一つ一つに刷り込まれているものなのかもしれませんね。

 

滅多なことでは自分は失わない。だから一旦、自分を捨ててみる

 

「いやいや、それでも“自分らしさ”が大事だ」

「自分を失うなんて恐ろしい」

 

と、お思いになるかもしれませんが、

自分を失うなんてこと、多分滅多なことでは起こりません

 

酒を飲み過ぎて自分を失うとか言いますが、もしかすると酔った状態の方がよっぽどその人の本性を表しているかもしれません。

 

実のところ、どれが本当の自分かなんてみんなよく分かっていないのです。

“自分らしさ”は、みんないつだって手探り状態です。

だからこそ“自分らしさ”なんて決めつけてしまわずに、流れるように生きていけばよいのではないのでしょうか。

 

放っておいても、結果的に辿り着くのが“自分らしさ”なのだろうと思います。

 

20160101_134757

 

 

ランニングブームに見る“マゾ化”する日本人

375-1522829

「走ることの何が楽しいの?」

 

これはもう、めちゃくちゃ聞かれます。

あらゆる人から。

 

ほとんどのランナーに共通する悩みというか、あるあるというかそんな感じでしょうか。

 

理解されないランナー達

 

そりゃあ、走るなんてキツいし、面倒くさいし、普通の人からしたらやる意味が分かりません。

 

僕は走るのが好きで、走って日本縦断しちゃいましたけど、そのことを話すと大抵ポカンとされます。

ほとんどの人にとって、走る意味が分からないんです。

 

また先週、別府大分毎日マラソンを走ってきました。

この大会、割と競技色の強い大会で、フルマラソンの自己ベストが3時間30分以内でなければ出場できません。

そのため、このレースに参加するランナー達は好記録を出すために真剣に走る人が多くなるんです。

 

大の大人が何千人も揃ってゼーハー喘ぎながら42.195km走り続けるわけです。

 

走ることに興味のない人からしたら、奇妙以外の何物でもない光景ですよね。

はい。

 

ランナー自身もよく分かっていない「走る意味」

 

そして実は、ランナー自身も走ることの何が楽しいのかよく分かってないということがよくあると思うんですね。

「走ることの何が楽しいの?」

と聞かれて、返答に窮することが僕も多々あります。

 

もちろん中学時代から10年以上走っていると、自分が走る理由を考える時間なんて腐るほどあったわけで、ランニングの楽しさなんていうのも一応は言語化してみました。

 

爽快感であったり、自己実現の達成感であったり、ランニング仲間が出来ることであったり。

まあいろいろですね。

 

ところが、言葉にしてみても何だか上滑りしているようで、上手く伝わらない気もします。

結局、「走る楽しさ」なんて、走った人にしか分からない阿吽の呼吸みたいなものなのかもしれません。

 

“マゾ化”する日本人

 

そんな中で、走らない人から走る意味を問われた時、

「俺、マゾだから走るんだよ」

なんて冗談めかして答えちゃうときもあるわけです。

 

でもこれって結構的を得ていると、僕は思います。

「マゾ」という表現が適切かどうかは分かりませんが。

 

少なくとも、昨今のランニングブームの所以を考えてみる価値はあるのではないでしょうか。

 

日本全国でマラソン大会が乱立し、全国で1000万人とも言われるランナー人口。

15人いたら1人は走っている。

僕には、日本人が“マゾ化”しているようにしか思えません

 

恵まれた時代へのアンチテーゼ

 

少し表現を変えてみましょう。

僕の考えでは、多くのランナーは「生きている実感」を求めていると思うんです。

 

これだけ恵まれた環境の現代日本社会。

食べ物に困ることはないし、水道からも綺麗な水が出ます。

公共交通機関はほとんど遅れることはないし、福祉もそこそこ行き届いています。

最近のトップニュースはやれベッ○ーだ、やれSM○Pだ、と芸能ニュースが異常な盛り上がりを見せています。

 

つまり現代日本で暮らしていると、少なくとも身体的には過酷な目に遭うことがほとんどない。

普通に暮らしている限り、42.195km走り続けて息を切らすようなシチュエーションなんか起こり得ないのです。

 

多少角が立つ言い方になるかもしれませんが、日本のランナー達は快適すぎるぬるま湯のような生活からの脱却を求めているのではないのでしょうか。

 

そりゃあ、ラクに暮らしたいだけであれば走らない方が良いわけです。

 

ただ、それでは何か物足りない。

もっと刺激が欲しい。

もっと苦しみたい

 

・・・と、なるわけです。

なるべく論理が飛躍しないように気を付けているんですが、ここらあたりでついて来れなくなった方、ごめんなさい。

 

苦しみを経験するからこそ、喜びが倍増する

 

と、ここまで言うとランナーは常に苦しんでいるのかと思われるかもしれませんが、もちろんランニングは苦しいことばかりではありません。

 

日頃のストレスを発散出来るし、頭の中がスッキリするし、自然の中を走っていると本当に気持ちが良いです。

その一方で、呼吸が苦しくなったり、脚を痛めてしまったり、走る気分になれない日があったりもします。

 

要するに、すべて物事の一側面に過ぎないのです。

走ることが楽しいときもあれば、辛いときもある

どちらもあるから、それがまた楽しいのです。

 

辛い練習を乗り越えて、自分の目標を達成できた時の喜びは格別です。

走る前は気分が乗らなかったけど、走ってみたらやっぱり気持ちいい、走ってよかった、と思います。

パフォーマンスを高めるためにレース前は大好きなお酒を控えた。だからこそレース後のお酒が美味いのです。

 

こうした「アメと鞭」というか、抑揚のある体験というのが、人間の心を満たし、虜にするのではないのでしょうか。

 

人間は常に新しい欲望を抱き続けるものです。

物質的なものから、体験的なものへ

ラクなものから、苦しいものへ

便利なものから、不便なものへ

昨今のランニング人気が、その傾向を如実に表している気がしてなりません。

 

だから、僕はこの恵まれた日本社会で“マゾランナー”が増えていくことは自然なことだと思うのです。

どうか蔑んだ目で僕らを見ないでくださいね。