韓国チャリ旅 2015/3/26~31

友人と二人で、韓国をぶらりチャリ旅してきたので、今回はその旅の様子をお伝えしたい。

■1日目 福岡・博多→山口・下関→関釜フェリー

スタートは福岡・博多駅。山口・下関へ向かい、フェリーに乗って韓国に乗り込む。
がしかし、いろいろな準備に追われてしまったため、下関まではJRを利用することに。
 自転車は解体して「輪行」する。右下みたいな感じ。

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実はこの「輪行」というのがかなり大変で、重い車体を持って歩き回らないといけないので、チャリ旅そのものよりもキツい。

 

■2日目 釜山→海雲台→蔚山

そして、翌朝に韓国・釜山に上陸。
フェリーで知り合った韓国人留学生に案内してもらいながら、釜山にて朝食。
早速、人の助けをもらいながら韓国の旅が始まった。
ここ釜山から特に予定をガチガチには決めずに北上していく。

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まず、驚かされたのが交通マナー
釜山では、「歩行者優先」という文化が通用しない。まあ車が止まってくれない。
 「車優先」である。

しかし、それは逆に言えば、歩行者が車に道を譲っているということであり、みんな当たり前のようにそうしている。
釜山の交通量は多い。車が街の発展の要だったのだろうか、歩行者よりも車の方が重視されている印象。
日本では、わがもの顔で道を渡る人も多い(自分もその一人)。
そう考えると、何を以て「交通マナーが悪い」と言うのか分からなくなってくる

そして、噂通りクラクションはうるさかった。
ただ、日本と違い、クラクションを鳴らすことで気分を害しているようにはどうも思えない。
なにか、会話をするようにクラクションを鳴らしている感じというか。
よく分からないが。
文化の違いと割り切ってしまう方が良さそうだ。文化という言葉は、理解不能なものを片付けるのに実に都合が良い。

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また、釜山は読んで字のごとく、山が多い。街中にも丘や坂道がたくさんある。
我々も坂道に苦しめられた。
なるほど韓国で自転車文化が根付かない理由の一つはこれか、と自ら体験して知る。

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予定が押し、日が暮れてしまった。
日本の高速道路並みにぶっ飛ばす韓国の国道。そこを自転車用通路がないなか走るのだから、恐怖である。
夜道を30km程走ったが、危険だと判断し、初日は蔚山近くの小さい町に泊まることにする。

といっても、当日利用できるゲストハウスは簡単には見つからないので、郊外のモーテルに男二人で入る。
モーテルは一般的に一部屋の料金で請求されるため、二人で割り勘すれば、そこそこリーズナブルである。
そして、よく分からん飲み物を飲んで寝た。

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■3日目 蔚山→慶州

豊臣秀吉による朝鮮出兵(侵略)の時代、加藤清正によって建てられた城、西生浦倭城は蔚山郊外にある。
急な予定変更で泊まった街のすぐ近くにあった。
不確定な旅のおもしろいところである。

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400年前の日本と韓国に思いを馳せながら、春先の心地よい風を浴びて寝そべる。
日本よりやや荒涼な風景だが、それもまた趣があって良い。

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蔚山郊外は工業地帯。
わずかに行き交う人たちはみな、布を顔に巻きサングラスを付けている。
 大気の状況が非常に良くないからだ。
途中、コンビニでマスクを買い、なんとか間に合わせた。

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夜、慶州に到着。

ナムゲストハウスに泊まる。
コーヒー大好きのオーナーさんはとても親切で、自慢のコーヒーを振る舞ってくれた。
決して堪能とは言えない日本語と英語だったが、お互いに歩み寄ってコミュニケーションをとる。
母国語が違うからこそ、ある意味で深いコミュニケーションが取れることもある。

ここで、私と相方は別行動。
相方は慶州に残り観光、私は深夜バスで、友人に会いにソウルへ向かう。
ソウルへ着くのは翌午前3:30。相変わらず滅茶苦茶なスケジュールで行動する自分に呆れながらバスに乗る。
例に漏れず、バスの運転は荒かった。

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■4日目 ソウル→慶州

ソウルで再会した友人たちとは、カナダ・バンクーバーの語学学校にいたときに出会った。
一人は韓国・ソウル出身の男性。もう一人はコロンビア・ボゴタ出身の女性。
二人ともバンクーバー時代から仲が良く、映画やカラオケに行ったこともある。
時間が経っても、国が違ってもこうしてまた会えて、話をして、笑い合えるというのは何物にも代え難い。

 光化門内では、伝統的なセレモニーが開かれていた。
門の造りやカラフルな衣装は、琉球文化を彷彿させる。

少し歩くと、東洋なのか西洋なのかよく分からない建物が、ごちゃまぜに立ち並んでいる地区もある。

こうして、国境を越えたところで文化的類似を目の当たりにすると、国とは古来から関わり合って成り立ってきたのだとつくづく思う。

「国」という概念がない遥か昔は、人と人の繋がりが「世界」であったという。
「国」とは不思議なものである。

余談ではあるが、私の地元・奄美大島も江戸時代までは、公式的には琉球王朝(沖縄県)占領下、実質的には薩摩藩(鹿児島県)の占領下という曖昧なものだった。
そして、奄美が政治的に日本となったのは、廃藩置県で鹿児島県に組み込まれて以降だとする見方がある。
だとすると、奄美が日本になってから100年ちょっとしか経っていないことになる。

今回の韓国の旅でも、フィリピン人に間違えられたが、あながち間違いではないかもしれない。
(まあ、見た目が見た目ではあるが。)

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■5日目 慶州→釜山→関釜フェリー

相方のチャリの後輪が壊れてしまったこともあり、新慶州駅からKTX(韓国の長距離列車)を使い、釜山まで輪行。
 国際市場を食べ歩きながら観光。
日本で例えるとすれば、大阪のような元気の良い街だ。
いざ離れるとなると、少し寂しい気もしながら、フェリーに乗り韓国を後にした。

 

<おわりに>

明日から、日本縦断をする。
現在、バタバタ準備中。

旅をしても、現地のことを知り尽くすなどということは到底できない。
4年間福岡に住んでいても、福岡について知らないことがある。
22年間日本に住んでいても、日本について知らないことがある。

旅ってキリがないですなあ。。。

送別会② 太宰ゼミ

天の邪鬼な私は、
みんなが「卒業式」ネタでSNSに投稿する中、敢えて「送別会」シリーズとして更新する

卒業すること自体はおめでたいことなのですが、
皆が皆、卒業式を経て社会人になった途端、急に人が変わるとはあまり思っていないので。

いえ、ただのしょうもない抵抗に過ぎないので、気にしないでください。笑
卒業おめでとうございます!

 

前置きが長くなりました。

 

3/20は太宰ゼミの送別会。
このゼミに入ったことも一つの転機でした。

ゼミの方針はいつも同じ。「主体的に学ぶこと」

これは、どこでも同じなんですよね。
だから太宰ゼミじゃないと学べないことじゃない。

実際、自分もゼミの枠を飛び出して活動していました。
その内、学部の枠も飛び出し、大学の枠も飛び出し、ついには日本を飛び出してしまいました。笑

むしろ「ゼミの枠にはまらない」ことを意識していた気がします。

それは別に、ゼミへの愛着がないとかいうわけではなく、
「主体的に学ぶ」というゼミでの学びを活かした結果だと思います。

もちろん活動の範囲を広げるだけが全てではありません。
活動の範囲を広げたことで、絞るべきものが見えてくる
それもまた一つの学びにはなります。

とはいえ、太宰ゼミでの活動を通して多くの学びや成長の機会を頂き、
ゼミの仲間たちと共に走ってきたということも偽りない事実です。
先輩方、後輩、同期、そして太宰先生、本当に感謝しています。
こんなわがままな自分ですが、
ゼミ長として、ゼミの一員として一緒に活動させていただきありがとうございました。

 

さて、これから「太宰ゼミ」なんて看板もなければ、「福岡大学」という看板もなくなり、
「学生」という肩書もなくなります。

そうしたときにどうするのか。

とりあえず、「社会人」という新しい肩書に頼ってみる?

否、そこで求められるのはやはり
「主体的に学ぶこと」だと思うのです。

 

※もちろん、自戒を込めて。

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送別会① 室見川ランニングクラブ

 

 

3/22、所属する「室見川ランニングクラブ」の方たちが、僕の日本縦断ランの送別会を開いてくれました。

このランニングクラブに顔を出したのは、2年半前。
僕のランニング観が大きく変わったきっかけにもなりました。

大学2年時、度重なる怪我や不調により、自分の思うような走りが出来なくなっていて、走るのが嫌いになった時期がありました。
そして、中学時代から続けてきた陸上競技部を辞め、僕は文字通り迷走しはじめます。

ですが、いざ走ることを止めるとなんだか満たされない生活の繰り返しでした。
そこで、ふと足を運んだのがこの「室見川ランニングクラブ」

そこで見たのは、メンバーの方々が本当に楽しそうに走っている姿。
当時の僕は、タイムや順位など、競技としてのランニングばかりに意識が向いていて、走ることの楽しさを忘れていました。
その走る楽しさを思い出させてくれたのが、このクラブです

もちろんタイムや順位を目指して走ることも素晴らしいものです。
ただそれと同時に、根本に「走ることを楽しむ」気持ちがなければ長続きもしないし、それこそ走ることが嫌いになってしまったら本末転倒だと思うのです。

僕は今、「走ることが好きだ」と堂々と言えます。
そう言えるのは、間違いなくこのクラブのおかげです。

また、室見川ランニングクラブで、様々な年代、職業の方たちと関わることで、普通の学生ではなかなかできない経験をたくさんさせてもらったと思います。

これまで、本当に与えてもらってばかりでした。
微力かもしれませんが、日本縦断ランで自分が走る姿を通して、受けた恩を少しでも還元したいと思うばかりです。

室見RCの皆さん、本当にありがとうございました。
帰ってきたらまた練習に参加させてください。

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【絶景写真、きれいな写真についていろいろ】

僕の地元・奄美大島のビーチがTABI LABOさんの記事で紹介されておりました。

 

ここはカリブ海・・・?奄美大島の「土盛海岸」が想像を超える美しさだった

 

はい。確かにここのビーチ、きれいです。

ここで紹介されている写真と、そんなに差はないと思います。
ただ、どうも違和感あるのがあれです。

「写真加工アプリ」

あれは、実物とかけ離れすぎてませんかね。

 

現代文明の利器で、誰でも簡単に

「絶景写真」やら「きれいな写真」やら作れるようになりました。

便利ですねー。

 

けれど、「情報発信」っていう観点から言うと、

ああいう写真をネット上でアップすることが本当に「情報発信」なのか、と疑問が残ります。

 

僕も最近、何かを発信するようなことをしたいな、と思うようになりましたが、

「じゃあ、情報発信って何ぞや」

となるわけです。

 

「ザ・観光地」的なところに行って、きれいな写真を撮ってアップ。

「はい、これで情報発信しました!」

ってなるんでしょうか。

いや、写真コンテストじゃないんだから。^^

 

かと言って、

「写真加工アプリ」を使わなければ、ありのままの姿を伝えることができるのか?

というと、そうでもないでしょう。

 

ここで提案。

 

発信する人のバイアスって必ずかかってしまうわけだから、そのバイアスを活かしてしまうのはどうか。

 

それが「本当の姿」であるかどうかとか、それが「答え」であるかどうかは、ひとまず置いといて。

思いっきり、自分の思ったことを書く。

写真は、、、まあ、おまけ程度。笑

文章で勝負です。

 

もちろん、文章はなるべく客観的に書きなさいっていう考え方もあります。

 

しかし、普遍的で、なんとなく正しいと思えるような情報は既に溢れかえっています。

情報発信する際には、生情報に対して、どれだけ自分の考察を交えて再編集できるかが重要ではないでしょうか。

 

まあ、こんなこと言いながら、僕も「写真加工アプリ」使ったことあるんですけどね。笑

初投稿・・・

 

ブログなんてものを始めてみました。

上原です。

 

しかも、僕みたいなアナログ人間がWordPress なんていう高度なものを使って・・・

手さぐり状態ですが、徐々に慣れていきましょうか。

 

まあ、ブログ始めようと思った理由はあれです。

今年の4月から走って日本縦断をするということで、その旅中の発信もしたいので、これを機会にやってみようかなと。

 

大学卒業して就職もせずに、世界のどこかをフラフラと走ってるだけだと、いつの間にかみんなに忘れられてしまいそうですから。笑

 

せめて、みなさんの頭の片隅に入れてもらえる程度には、発信していきたいな、と思った次第であります。

 

それでは、出発は2015年4月2日。

楽しみです。